アーカイブス 戦後昭和雑記帖
銭湯のこと
Copyright © 1950s bros. 1998-2001 All rights reserved



銭湯のこと

 私は、16歳まで、銭湯に通った。思えば、実に長い銭湯生活のように思われる。
 16歳の春まで、借家と公営住宅住まいであったが、当時、内風呂のある借家は、まだ、珍しかった。
 昭和30年代や40年代前半の住環境がしのばれる思いである。
 必然的に、入浴は銭湯に通うことを余儀なくされていたため、自宅から約500メートル離れた銭湯に、夏は、洗濯タライの行水の使えない日は、毎日、冬は、一日おきに通っていたように思う。
 夕方ともなれば、洗面器、石鹸、シャンプー、タオル、着替え一式を風呂敷に包み、それをかかえながら、手をつないで、そぞろ歩く数組の親子たちが行き交う。皆さん、ご近所さん、幼なじみである。
 男の子たちはといえば、水鉄砲とか、船のおもちゃなんかを手に持ち、はしゃぎながら通うのである。

 銭湯は、当然のことながら、男湯と女湯に分かれる。
 私は、小学校中学年までは、母といっしょに「女湯」のほうへ、それ以降は、父親といっしょに、男湯のほうに入っていた(小学中学年までは、女湯と男湯のいずれにも自由に出入りしていた)。
 銭湯の暖簾をくぐると、男湯と女湯は番台で仕切られていた。『おかみさん 時間ですよ』というテレビ番組のことはご記憶のことと思うが、私が通った銭湯もだいたいあんな風であった。たいていは、おばさんか、おばあさんがそこに座っていた。
 入浴料金のほかに、髪を洗うときは、別途、洗髪料を払う必要があった。

  
 
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
ここで洗髪、すすぎをする
          
    湯船にタオルをつけてはいけない!

   
湯船 

 
 男湯
皮膚病によく効く
といわれた薬湯
やや温め↓

薬湯湯船





 この脱衣場の壁面には
観光センターで行われる
旅芝居や競輪の
ポスターがよく貼られていた

      



実は、この壁は大人の背丈より少し高く、
壁伝いに、洗面道具などを手渡すことができる
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
番台では、
洗面道具や
飲み物も
売っている
 
         ここで洗髪、すすぎをする
 

薬湯湯船


女湯


湯船  

   






   

  この台の上で赤ちゃんの
  おむつを替えたりする

      





 靴をぬいで、脱衣場に向かう。
 靴ぬぎ場と脱衣場とは、大きな仕切りが立てられていた。仕切りには、観光センターで行われる旅芝居や競輪のポスターがよく貼られていた。
 脱衣場には、たくさんの竹製の大きな脱衣篭が。当時、明治生まれのお年よりもまだまだ健在で、ふんどしをはいておられた。
 女湯のほうには、脱衣場の中央に、大きな円卓状の台が置かれていたが、その上で、お母さんたちは、赤ちゃんのおむつを替えたり、着替えをさせたりする。早くもお母さんたちの井戸端会議の花が咲きはじめる。

 いよいよ着替え終わり、湯船のある部屋に。
 湯船は、大きい湯と、小さい湯に分かれていた。小さい湯のほうは、薬湯となっていた。
 入り口付近に、積み上げられている木製の風呂桶を選び、しっかり「かけ湯」をして浴槽に入る。(やがて木製の風呂桶は、姿を消し、プラスチックの風呂桶に主役を譲る。風呂桶の底にはなぜか皮膚科の病院名と電話番号が。)

 浴槽には、老若ともにおなじみさんである。背中に立派なお絵描きをしたおじさんもよく来る。  銭湯にはマナーがあって、
 入り口の戸はきちんと閉める。
 かけ湯をしてから入る。
 他の人の顔に湯しぶきがかからぬように、静かに入る。
 タオルは湯船につけない。
・・などである。
 親に体を洗ってもらう。ナイロンたわしは、よく垢がとれた。軽石で足のかかとをこする。体を洗い終わったら、髪を洗うが、30年代は石鹸で髪を洗った。私は、髪を洗うのが大嫌いであった。 子どもたちは子ども同士で洗い終わったら手持ちのおもちゃを持ち、遊びにふける。あまり遊びが過ぎると、誰彼とはなく、大人に注意をされた。実にすばらしい大人たちであったことか。

 女湯と男湯は、壁一枚で、天井は続いている。壁伝いに家族は呼び交わし、石鹸やシャンプーを受け渡す、家族もいた。女湯のほうで、すでに体を洗ってもらった弟が男湯のほうにやってくる。

 じゅうぶんお湯につかったあと、いよいよ体をすすぐ。それにしても当時は、お金を払っているせいもあってか、じゅうぶん湯船につかったものだった。
 洗面器にお湯と水が混ざる。数回、体に流したあと、体を拭く。

 再び、脱衣場に。
 女湯と男湯の仕切る壁に大きな鏡が張られている。
 じゅうぶん温まった自分の体からは湯気が。
 夏場になると、汗疹ができやすいので、シッカロールを背中や首にかけられた。
 体重計に乗っかる。成長の記録は銭湯で確認した。
 パンツをはく。再び、鏡に向かいプロレスの「豊登」のポーズを。
 女湯にいる母のほうがなぜか時間がかかるので、しばらく時間調整を。
 父が機嫌のよいときは、番台で、飲み物を買ってもらえた。  「リンゴ牛乳」がおいしくて、父によくねだったものだ。「森永マミー」もうまかった。

 銭湯から出て、ふと見上げた夜空の星がとてもきれいだった。

 後になるが、実は大学時代(昭和50年代)に下宿しているときにも、銭湯に通ったのだが、なぜか、子どものときに通った銭湯の雰囲気が忘れられないでいる。

 身も心も他人に裸を見せられなくなっている現在の自分が少し悲しい。